2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

性的なパートナーの選択にみる男女の思考の違い

一般に男性の方がパートナーを頻繁に変えたがる傾向はあるだろう。「なるべく広く種を撒くため」なんていう尤もらしい説もあるが、少なくともその目的に特化しか神経回路があるとは思えない。(結果的にそれが適応力を上げた可能性はあるけれど)で、「どう…

比較後の受容と転換

能動的か受動的かに拘わらず、何らかの選択肢が提示されたとして、それを受け入れるかどうか?普通そういう状況では類似の選択肢を想起してそれと比較し、提示された選択肢の方が優位であれば受け入れるだろう。ただその判断は純粋の選択肢の価値の比較のみ…

依存と積極的排除

気に入らない他者を集団から排除したがる人間がいる。それは不快な刺激を取り除こうという理由だけでなく、嗜虐的な目的を含む場合が多い。ただそれが「嗜虐」として成立するためには、それをやる人間自身が集団からの疎外を恐れているのが前提であろう。

投資の難しさについて

損失が出た時ほど現状維持(ポジション継続)に心理が傾きやすく、利益が出た時ほど行動の転換(ポジション決済)しやすいってのが一つなんだけど。もう一つ、例えば買った銘柄の値が上がった場合には、その銘柄を買うという行為が強化されるが、適正価格が…

権威が成立するための条件

権威が成立するための条件はいろいろあるだろうが、一つは代替不可能性だと思う。完全に代替不可能でなくてもいいんだが、何かその対象から得られるものがあってそれによって権威が成立する場合、その何かが別のところからも得られると知ってる人間がいると…

保守性と欠乏状態への耐性

負の報酬予測誤差が生じる事態を避けようとすると、必然的に保守的になる。

悟りきるとは

仏教の経典に次のような一節がある。 迷いが生じたら悟りを得よ。ただし悟りは迷いがあるからこそ生じるもので、迷いが生じなければ悟りも生じない。悟りきるとは、迷いが生じず悟る必要もない状態のことである。 「迷い」は疑問や疑念と解釈できるし、「悟…

「他人の評価を気にする」と「他人のために生きる」の違い

「他人の評価を気にする」には悪いニュアンスがあるが、「他人のために生きる」には良いニュアンスがある。しかし両者を明確に区別することはできるのだろうか? 本人が義務感でやっていれば前者だろうし、主体的に動いた結果なら後者か。 後者は単純に行動…

コストを度外視した努力と、達成基準の見極め

達成基準が分かれば、最低限必要なことだけやると思う。しかし達成基準が明確でない場合には、「やれるだけやる」という戦略を取る場合がある。その裏には「やれるだけやってダメだったのなら諦めがつく」という心理もあるのだろう。ただ、達成基準が不明瞭…

欠乏と固執と責任割り当て

基本的に何かが足りないとそれに固執する。欲求が充足されないと固執が生じるのは当然と言えば当然だが。 あるものが足りないという自覚があると、それに起因するものでなくても、それに起因すると思い込んでしまう場合がある。

純粋主義とモチベーションの維持の困難

「特定の形式(方法にしろ目的にしろ)でないとやる気が出ない」となかなか物事は進まない。逆に「似たような結果が得られるなら何でもいい」のであれば、前進しやすいだろう。

美徳と信仰

本来「美徳」は「直感的に理解しにくいが、本人の利益に繋がるもの」であるべきだと思うんだけど、本人の利益に寄与しないと、美徳を守るコストを埋め合わせるために、排他的な信仰に変わるのだと思う。

固執とか不変性への拘りとか

最近考えた仮説は「強いドーパミン放出が起こると、手掛かり刺激への反応やドーパミン反応性の転移が起こりやすく…」みたいなもの。ここではそっから先について考えてみる。「転移が起こりやすい」ことと「不変である」ことの関係は何か? 強いドーパミン放…

雑事を後回しにする心理

さほど負担に感じない仕事であっても、「どうせすぐ処理できるし」と後回しにしてしまうことがよくある。負担が小さいし、一応役にも立つのであればとっとと処理すればいいと思うが、ついついそうしてしまうのはなぜか? まぁ結局目の前の作業への没頭が原因…

思考の範囲と絶望

「過剰な期待を抱くと絶望しやすい」という傾向がある。単純に解釈すると、期待が大きいので、同程度の成果が得られても予測誤差が負になりやすいということだろう。しかし他の解釈も可能だと思う。 ドーパミン放出の減少に伴って思考の範囲が狭くなるとすれ…

絶望とは何か?

期待した報酬が得られなければ「失望」するだろうが、それは絶望とは少し違うような。 そもそもどういう状況で絶望するかには個人差がある。客観的に見て同程度の実現可能背でも、絶望する人間もいれば希望を持ち続ける人間もいる。この違いは何によって生じ…

飽きとは何か

もし一連の出来事の満足度が放出されるドーパミン総量で定義されるとすると、強化学習モデルに従えば予想外に報酬を得ようが、確実な予測の下に報酬を得ようが、満足度は同じということになる。しかし後者のような状況では「飽き」が生じることもある。飽き…

「目的より過程を楽しむ」心理について

もし一連の出来事の満足度が放出されるドーパミン総量で定義されるとすると、強化学習モデルに従えばいきなり報酬を得ようが、多くの段階を経て(少しずつ報酬を予期しながら)報酬を得ようが、満足度は同じということになる。しかし実際は、しばしば後者の…

最高点の見極めとか矛盾の認識とか

「最高の状態」を見極めるのは容易ではない。単純に点数によって定量化されている場合、上限があるならその認識は楽だが。 複数の要素を満たさなければならない場合、概して「全てを完全に満たす」ことは不可能なので、(線形計画のような発想によって)複数…

縁と枷と手掛かり刺激

怪しげな東洋の占いでは「親との縁が強すぎるから…」なんて理由を述べることがあるけれど、親の力で報酬を得ると自然と親の言動の影響力が強まるという面はあるわけで、あながち間違ってもいないのかもな、と。

究極形の見極めと禁欲

たぶん「究極形」は「より多くの欲求を充足する」という基準で決定され、それを見極めるためには「より多くの欲求を喚起する(が充足しない)」という過程が必要なんじゃないかと。

欲求や目標の分離

例えば「海の幸・山の幸満喫ツアー」というのものがあったとする。そのツアーに参加したところ、美味しい魚介も山菜も食べられ、風景や温泉も楽しむことができたので非常に満足であった。その一連の出来事によって「海の幸・山の幸満喫ツアーへの参加」が強…

目標のすり替えとか欲求の代替とか

性欲が満たされないので暴食して鬱憤を晴らす、というのが分かりやすい形だが。そういった「代替」は欲求間の関連が乏しく、気休めにはなるが、どの程度元の欲求を抑える効果があるか微妙である。 例えばテストでいい点を取って褒められようとしたが、いくら…

欲求不満と代替案

一般的な行動の強化は、行動の後に(目的である)報酬が得られることで成立するが、報酬がなかなか得られない場合にいわばその代替案として、その報酬と関係のある行動が頻繁に生起することもあるだろう。(それを強化と呼べるかどうかは置いといて)そうい…

複数の欲求の喚起と一般化

前回のエントリで述べたように、「複数の欲求が同時に喚起される」場合にそれを同時に満たそうとすることで、「総合的な解決策」なり「一般的な解決策」が出てくるのではないかと。「欲求」と書いてしまうとてんでバラバラの印象を与えるが(例えば食欲と性…

目標の分離と欲求への還元について

目標を具体化・細分化できればいろいろ捗る、という話は以前述べた。ではいかにしてそれを実現するか? 単純に情報なり経験なりを蓄積することで、具体化・細分化しやすくなる面はあるだろう。ただ十分な情報があっても「様々な欲求を包括する抽象的な目標」…

最終的な目標の設定の仕方

満たすべき条件が明確であれば、どんな手を使おうがそれを満たせば満足できるだろう。明確か曖昧かという問題もあるのだが、目標が個別の欲求の充足に還元できる場合にはかなり柔軟な行動計画が立てられ、逆に個別の欲求に還元できず抽象的な目標のままだと…

他人の失敗を敷衍しないための思考

ある条件A、Bを満たした人間がとある目標に挑んで失敗したとする。自分は条件A、Cを満たしており、同じ目標に挑んでいる。失敗した人間と条件Aは共通だが、失敗した人間の条件Bは満たしていないし、代わりにその人間にない条件Cを満たしている。共通している…

コミットするということ

大学なり大学院を出たら、就職するとか研究者になるとか、何かしら仕事をするわけだ。過度な美学を掲げて仕事の専念するのが適切かどうか分からないが、どんな作業であれそれを「業」として行うからには、相応の覚悟が求められる。 職業人は日々様々な仕事を…

罰をいかにして学習するか?

強化学習において罰は負の報酬として表現される。この場合、罰を受けると先行する刺激に対して反応しなくなる(あるいは直前の行動を起こさなくなる)が、罰を能動的に回避する必要がある場合にはそういった学習では不十分だろう。