悟りきるとは

仏教の経典に次のような一節がある。

迷いが生じたら悟りを得よ。

ただし悟りは迷いがあるからこそ生じるもので、迷いが生じなければ悟りも生じない。

悟りきるとは、迷いが生じず悟る必要もない状態のことである。

「迷い」は疑問や疑念と解釈できるし、「悟り」はそれに対する解答や解決策と解釈できると思う。

では「悟りきる」とはどういうことか?


「悟り」に限らず、解決策が見つかることで「疑問すら生じない」という状態は起こりうる。

これはどのようにして生じるのか?


「悟り」とは異なるかもしれないが、一通りの解釈が可能になると、それで満足する性質はある。