嘲笑と承認
「我々は普通、理解できない人間がいるとあざける」(ゲーテ)
上記のようなことは確かにあるように思う。
嘲るのは「目立つ」ものを自分が価値を認める何かに帰結させられないからではないかと思うのだが、では「(人間のよさを)理解する」とはどういうことか。
「人間」というとやや指しているものが不明確なので、とりあえず特定の行為について考える。
例えば「会社を辞めて大学に入り直す」とか。
それが周囲の人間にインパクトを与える理由は、一見不利に思える選択だからであり、その行為に合理的な意図を見出せなければ「何を考えているんだあいつは」「あいつは愚かだ」といった評価になる。
しかし、そこで別の情報が加わったらどうか?
例えばその会社の経営が傾いているとか、進学を考えている大学が社会人の受け入れに積極的で、再就職の実績も高いとか。
あるいは、上司や他の会社の人間と、卒業後に有利なポジションで受け入れるという話がまとまっているとか。