成功と失敗の解釈

twitterより。


「Aという状況でBした人は成功してます」と事実を述べるのはいいとして、しかも実際にBと成功の間には因果関係があるんだけど、「Bする」ことができるのはかなりマメな性格の人に限られる場合、上記を「だからBすればいいじゃん」と翻訳するのはどうなんだろうと思ったり。

「成功者がやったこと」を挙げる行為に教育的意味が全くないとは言わんけど、ほとんどないよね。成功者がやった理由が「特異な性格」なら参考にできんし、理由が「他の方法ではうまくいかないと分かっていたから」ならむしろその事実を教える方が教育効果がありそう。

一般化して意見を述べると、誤爆範囲も広がるという罠。

「地道に努力できる」理由はいろいろあるだろうけど、そのうちの一つは「地道に努力しないと成功しない」という悲観主義で、(それが正しい分野においては)努力を促すよりも悲観主義を叩き込んだ方がいいのではないかと…

ああ、でもそういう塾の講師がいたけど、「お前が無理って言ってること、俺は普通にできたけど?」みたいな感じで、むしろその講師の話を以後全然聞かなくなったわ。悲観主義を叩き込むのもそれはそれで難しい。

まぁケーススタディとして他人の失敗談を聞くと、参考になることが多いけど。ただ元々の発想が違いすぎて参考にならん時もある。

でも失敗談を聞いて「真の失敗の原因」を推定するのは結構難しいよね。「Aという予備校に通ってたけど受験に失敗した」という場合に、「Aという予備校が原因」と解釈する人もいるだろうけど、実際はその人間の「予備校に通ってさえいれば大丈夫」という発想に問題があったりとか。

失敗談を話す人間自身が正しく失敗の原因を理解してるとも限らんし。ただまぁ話の内容そのものが事実であれば、本人が原因を理解してなくても聞いた側が真の原因を理解して、自分の行動設計に生かせる可能性もある。

本人がおそらく原因を誤解してて、自分には何となく分かった場合に、それを指摘していいものか迷ったりする。相手のためになるかもしれんけど、自分で経験しても分からなかったのだから他人が諭しても無駄という気も。肝心なのはまた失敗談が聞けるかどうかで、不快に思って話してくれなくなると困るw