虚言癖に関する一考察

「嘘をついてもいずれバレるし、信頼を失うので極力つかないのが無難」ではあるのだが。

純粋に「虚言」を楽しんでる人間もいるかもしれないが、むしろ多くの人間は「体裁を取り繕うためにやむを得ず」という感じだろう。

もちろん、後でそれによって困るのであれば、短慮ではあるし、自制心がないとか問題の先送りだとかいう批判は可能なのだが。

ただおそらく虚言癖は、経験や能力以外の要素が大きく関わっている。


誰か親しい人が「自分はAが好きだ」と言った時に、自分はAが嫌いだとする。

そこで「自分は嫌い」と言う選択肢と嘘をついて「自分もAが好き」と言う選択肢がある。

(もちろん、曖昧にする選択肢もあるがここでは考えない)

単なる趣味の問題なら賛意を示さなくてもさほど問題はないだろうが、それでも嘘をついて同意してしまう人間もいるだろう。

その理由は何だろうか?


相手が「自分はAが好きだ」と言った時に、そこまで相手の存在が強く認識されなければ、自分の思考に強い影響は受けず、単に会話の流れを受けて「自分はAが嫌い」と言えるだろう。

敢えて嘘をつくのは、相手の発言が強い影響力を持ったからである。

つまり「虚言癖」のある人間は、他人から受ける影響が全般的に強いのではないか。