自信とか安定感とか
常に他人の顔色を伺う状態は好ましくないだろう。
思い切った行動ができなくなる上に、余計なストレスを抱え込むことになる。
ではなぜ「他人の顔色を伺う」のか?
相手が暴君で、機嫌を損ねたら処刑されるという状況ならやむを得ないが。
(父親が暴力をふるうというケースはそれに近いかもしれない)
ただ、人間関係はある程度代替可能であって、相性が悪い相手とは関わらない方法もある。
にも拘わらずなぜ顔色を伺うのか?
近くにいる他者への依存という解釈も可能かもしれないが。
他人の顔色を伺わない人間は、「自分に自信がある」とか「安定している」などと形容される。
そういった人間は、他者の評価を全く気にしていないのだろうか?
必ずしもそうではないだろう。
他人の評価が全く気にならなくなったら、おそらく社会生活も困難になるはずで、そういう状態を持続するのは厳しいと感じる。
その場その場で「他人の顔色を伺わない」人間も、評価を気にする対象というのは存在するのだろう。
しかしそれは「他者全て」ではないし、またその対象は変化しうる。
高い能力を持ち、自分を適切に評価してくれる人間がいれば、その人間の評価は信頼できるし、またその人間がおかしな行動を取り始めたら、別の人間に適切な評価を期待すればよい。
とすると「自分に自信を持つ」とは、「評価を得る対象者を限定し、またその変化を受け入れる」ということになるし、そのために必要なのは、「評価を得る対象」を判別する手間と、その対象を切り替える手間である。
そういった行動は、手間だけでなく、判断のための精神的なコストも要する。