女性性とか嘲笑とか思考の円滑さとか

例えば目立つ人間がいたとして、その人間に興味を持つか嘲笑するかは、先天的な要素である程度決まると思う。

対象そのものへの関心が持続すれば「興味を持つ」ことになるんだろうし、対象に注意は向けるものの、すでにある価値基準で評価を下そうとする場合には「嘲笑する」ことになるのかなと。


「新規な価値基準の探索」か「既存の価値基準の利用」と捉えてもいいし、「注意の対象の受容」か「注意の対象の排除」と捉えてもいい。

ただ「固執」という概念で上記を説明しようとすると厄介なことになる。

「既存の価値基準の利用」という意味では「嘲笑」が「固執」に近いが、「注意の対象の需要」という意味では「興味を持つ」ことの方が「固執」に近いので。

上記の性質は「固執」とは別の軸で捉える必要があるのだと思う。


具体的にどの軸をどういう言葉で表現すべきか、すぐには浮かばない。

「嘲笑」のしやすさを「女性性」と呼ぶのはそんなに外れていないと思うが。


重要なのは「注意の移動」と「評価基準の移動」が別の機構によって制御されているのではないかということ。

注意→ドーパミン、評価基準→ノルアドレナリン、みたいな違いがあれば面白いが。