「注意の対象から一定量の面白さを引き出さないと満足できない」という性質

twitterより。

人間って注意の対象から一定量の「面白さ」を引き出そうとする面がありますよね。注意の対象が「他人」の場合、その人が面白い話をしたり、一緒に面白いことができればそれで満足なんだけど、それができないとその人をからかうとかバカにするとか、そういう方法で「面白さ」を引き出そうとしてしまう。

だから互いに無関心な二者が長い期間一緒に生活できるかというとまず無理だよね。相手が注意の対象になる以上、これと言って面白い話ができなければ、さしたる理由もなく相手を貶めてしまって、中立的な関係すら維持できなくなる。

さっきの「一定量の面白さを引き出す」の続きなんだけど、他人の主張を非難する場合、表面的な理由は「主張の内容が悪い」だが、真の動機は「(注意は引くが)面白くないので叩いてみる」という場合が結構あると思う。

で、「主張の内容が悪い」と非難された人間は「自分の主張は悪くない」と返すわけなんだが、非難の真の動機は「面白くないので叩いてみる」なので、主張の妥当性を述べられても(面白くなければ)何ら相手の印象を変えることができないという。

どっちが悪いっつー話ではないんですけどね。コミュニケーションが上手くいかない例として挙げてみました。