努力を伴うことの意義

同じ報酬を得る場合、何もせずに得ることと、何らかの努力をして得ること、どちらがよいか?

単純に考えれば何もせずに得られる方がよい。

強化学習の枠組みでも、基本的に「報酬−労力」の値を用いて行動の強化が為される。


しかし長期的に考えると、努力をせずに報酬を得た人間は無気力になり、生活が荒廃するケースが多いように思う。

もちろん「努力」が大きすぎるのも問題で、あまりに必要となる労力が大きいと、報酬の価値はほとんどなくなってしまう。(まぁ逆にあまりにも大きい労力を肯定するために報酬を過大評価する、というケースもなくはないが)

要するに直感的な結論として「適度な努力は必要とされた方がいい」わけだが、これはどのような枠組みで解釈すべきだろうか?