分節化の適切さについて

自分の周囲の世界を細かく分節化する人もいれば粗く分節化する人もいて、どちらも極端でない限りはそれなりにやっていける。

もちろん「適切な分節化の程度」というものも想定できるだろう。

漠然と「周囲の情報の分節化」では理解しにくいので、「目的達成のための分節化」とすれば、目の前にガラスのドアがあって通れない時に、手元の「押してください」というボタンに気付く程度の分節化が行われれば通ることができるし、逆に言えばそれ以上の分節化はコストの無駄である。


平常時の分節化のレベルは、多少の個人差はあるだろうがそこまで大きく変わらないだろうし、また個人内ではあまり変動しないだろう。

しかし、何か不測の事態(例えば上記のように「ガラスのドアがあって通れない」)が起これば、一時的に分節化を細かく行って問題に対処する場合もある。