責任転嫁の機構

「責任転嫁」は合理的な判断によってなされる場合もあると思うが、多くは反射的な対応によるものである。

責任転嫁は、何か失敗をし、他人から責められるという状況で発生する。

責任を自分以外の人間に押し付けることで、自分は叱責から逃れようとするわけだ。


しかし叱責されなくても、自分がその失敗を耐えがたいものだと感じていれば、「責任転嫁」を行う場合はある。

この場合、責任転嫁をする目的は、自分を慰めるためであろう。


他者からの叱責を免れる時はともかく、自分を慰めようとする場合、責任を転嫁する「適切な」対象があるわけではない。

ではどのような基準で責任転嫁の対象が決まるのか?


自分の失敗が、明確に他者の妨害によれば、転嫁する相手は明確になる。

しかしそうでない場合はどうか?

例えば子供は明らかに自分に原因がある場合でも、他人のせいにすることがある。

そこで選ばれる他人はどのようにして決まるか?


おそらく責任を転嫁する対象はsalienceで決まる。

失敗する直前に「目にとまったもの」が転嫁の対象になりやすい。

ただ、無関係の他人がたまたまそこにいたとしても、通常は転嫁の対象にはならない。

転嫁の対象はsalienceだけでなく、「好ましい刺激が得られるもの」が選ばれる。


例えば小さい子供が失敗した時、母親のせいにすれば母親は不合理だがそれを受け入れ、子供を慰めるかもしれない。

「慰められる」ことができれば、責任転嫁しか効果はあったと言える。


では、自分に対して反応を示さない他者に転嫁する行為は無意味だろうか?

必ずしもそうではないだろう。

自分より能力の低い人間の関与を失敗の原因に仕立て上げれば、自分の失敗は強く認識されなくなるかもしれない。

ただこれを行う場合には、「自分が能力的にその他者より優れている」ということを示す経験が必要である。

またその経験を「糧」にして自分を慰めても、結果的に何ら報酬が得られないので、その好ましい記憶は効果を失う。

つまり過去の好ましい記憶を「使い捨て」にして、ストレスを軽減してると言える。