存続時間とアクセス頻度

何か好ましいものがあったとして、その存続時間を長くすることは価値のあることだが、そこに「価値がある」と感じる理由は基本的に「アクセスの回数が増えるから」であろう。

「存続時間を延ばす」理由が「アクセスの回数を増やす」ことであるなら、「存続時間を延ばす」ことが不可能な場合には、「アクセス頻度を上げる」ことで「代替」することも可能なのではないか?


おそらく効用の観点だけでなく、欲求の面からも両者は近い意味を持つと思う。

すなわち、「存続させたい」と願う場合でも、真の欲求は「アクセス回数を増やしたい」であることが多いので、潜在的に「アクセス頻度を上げたい」という願いも持っている可能性が高い。


そもそも「アクセス回数を増やしたい」という欲求はどのような時に出てくるか?

いくつか解釈が可能だろうが、基本的にまだ関心の対象への欲求が飽和しておらず、同様の刺激を反復して得たいという状態であろう。

しかしその場で「反復」を行うことが困難な場合に(あるいは反復が可能だとしても、時間をおかないと満足度が下がってしまう場合に)、「未来のアクセス」を想起することで「代替」しようとするわけだが、その代替法として一番オーソドックスなのが「存続を願う」ことで、もうひとつ「アクセス頻度を増やす」も代替法足りうる、という。