好悪の感情とか共同体のルールとか

例えば引きこもりがちの子がいて、友人にあるバンドのライブに強引に誘われたとする。

乗り気でないが、仕方なく合意したところ、ライブのチケットはくれるのではなく自分で買わされたとする。

ここで「怒る」者もいるかもしれない。


世間一般の「常識」に鑑みて、男女ではなく同性の友人同士なら、たとえ一方が強引に誘ったとしてもチケット代まで持つことは稀であろう。

しかしそれは所詮世間一般の「常識」に過ぎず、その子にとっては「非常識」なのかもしれない。


他人の行動に対する好悪の感情とか「公正さ」は、個人の主観と言えばそれまでなんだが、所属する共同体の個人の「平均値」が影響してくる。

チケット代をおごるかどうかも、そういう行動を取る人間が多ければそれが常識になるだろうし、少なければ非常識になる。

共同体の成員に大きな変化がなければ、共同体内での他者との交友経験が一定量以上であれば、おおよそ「常識」は共有されることになる。


ここで共同体の「常識」に逆らって、「強引に誘ったのだからチケット代はおごれ」と主張する選択肢もあるのだが、共同体内に「チケット代は自腹でも誘いに乗ってくれる友人」がいれば次回からそちらを誘うだろうし、誘われなくなった人間は孤独な時間を過ごすことになるので、安易に無視できるものではない。



人間の「正義」の基準も、必ずしも先天的ではなくて、共同体のルールというか、共同体の成員の平均値に根差して決まる部分がある。