実感を伴わない損失の評価について

例えば資産の家に生まれたとして、親が「勉強に必要な資金ならいくらでも出す」という方針だったとする。

その場合、子供は様々な勉強法(学校、教材等)を選べるわけだが、判断にミスが生じた場合でも何ら痛みを伴わないことになる。

もしそれが自分で稼いだ金であれば、他の可能な用途(食事とか服とか)を捨てたという解釈もできるし、相応の時間の労働を無駄にしたという解釈もできる。



一つ興味深い点は「勉強のための金ならいくらでも出す」という支援の仕方が適切かという話。

例えばその方法を、「学生は物入りだから月に30万仕送りを出そう」という方法と比較した場合、どちらが子供の教育に効果的か?

前者に対する後者の特徴は、「総額が決まっている」ことと「使途を限定しない」こと。

もちろん、後者の方法を用いた結果、子供が遊びにばかり金を使う可能性はあるのだが、与えられた金の使途制限されていない分、勉強法に関しても損失が認識しやすくなり、適切な勉強法を選ぶ可能性は上がる。