未知の報酬の見積もりとか新奇性の選好とか

人間の行動選択も大雑把には期待値の比較で為されていると思うけど、未知の報酬はどうやって評価しているのか?

経験したことがなければ、必要なコストも得られる報酬の大きさも正確に予測することができないわけであって。


まぁ「得られる報酬の大きさ」は何となく分かるが、コストだけ見積もれないという場合もあるか。

ここで「見積もれないコスト」が実際よりも高く(重く)評価されるか低く(軽く)評価されるかは個人差があるが、コストを低く見積もって報酬と比較し、無謀にも挑戦するケースが多いように思う。


報酬の大きさ自体を見積もるのが困難な場合ももちろんある。

その状況で「徒労に終わるかもしれんしやめておこう」と考えるのは分かりやすいのだが、「よくわ分からんけど試しにやってみよう!」となることもある。

この心理が結構謎である。


まぁ「報酬の大きさ」が見積もれなくても、報酬の最大値とか「充足できるかもしれない欲求」が想起される場合はあるのだろう。