「幸福=刺激の総量」仮説

まぁさほど新規性はないかもしれんけど。

ただ刺激が強ければ何でもいいかというとそうでもない気がする。

ドラッグはまずいし、一日中ヘビメタ聴いてるのもどうかと思う。

まぁ「自然な方法で、飽きないように多様性を維持しつつ」みたいな条件が付加されればいいのかもしれない。

そういうものを追求すると、「豊かな人間関係」に行きつくのかもしれんけど。


人間関係においても基本的に相手の働きかけに対して「反応」することが肝要なのではないか。

多少大げさな反応でも構わない。

反応が期待以上に大きければ、基本的に相手は満足するのだろう。


ただ、「突拍子もない反応だと訝しむ」という場合もあるかもしれない。

あまりにも不自然だと違和感を感じる、ということなのかもしれないし、予想外の反応に躊躇う、あるいは裏の意図を感じてしまう、ということなのかもしれない。

ただあくまでそういう反応は副次的なもので、反応の大きさが満足度を規定する主たる要素ではないかと。


あとまぁ子供なんかは「大げさな反応を訝しむ」傾向が大人より強いかもしれない。

一つの解釈は、子供は感受性が強いので、相手の反応(刺激)に対する知覚が低いレベルで飽和してしまい、それ以上は白々しく感じられるだけ、というもの。