刺激と反応と抽象化

人間の思考の抽象化の過程を考える上で、個々の対象から得る刺激について考慮する必要がある気がする。


新規なものを見かけたとすると、そのもののあらゆる属性が鮮明なものとして認識される。

それゆえに、そのものに関する情報(例えば、何らかの操作を行ったら特定の動きをしたとか)は、それ自体に結び付けられ、他のものには(多少共通する要素があっても)結び付けられにくい。


一方、(共通する要素をもった)あらゆる対象に十分な時間触れ、個々の対象からさほど刺激を感じなくなっている場合に、それらを用いた欲求の充足が行いたくなったら何に着目するか?

このような状況で(最小限の労力で欲求の対象を識別する方法として)「共通する要素」の部分に着目するのではないか?