目標達成の可否による必要条件の認識

例えばテストで満点を狙うとして、どの程度勉強すべきか?

とりあえず一定量の勉強をしてみて、満点が取れたらこれで十分(もっと少なくてもいいかもしれない)と考えるだろうし、満点が取れなかったらこれでは不十分と考えるだろう。

試行を繰り返すうちに、それなりの精度で「必要(十分)条件」を見極められるようになる。

目標達成の可否に応じて必要条件を見極めるのは非常に合理的な対応である。


ただこのような「合理的」な学習には落とし穴がある。

例えば、上記の「テストで満点を取る」ケースだと、テストの難易度が急に変われば、学習した必要条件は当てにならなくなる。

そういうケースがあることを考えると、ある程度メタな補正(例えばテストの難易度に応じて勉強量を増やす)は合った方がよさそうである。


…論旨が不明瞭だが、私が述べたいのは「それでも目標達成の可否で必要条件を見極めるのが原則である」ということ。

メタな補正が過ぎると、不幸を生む場合がある。

また補正の妥当性は、目標達成の評価基準に依存する面もある。

「テストで満点を取る」は明確な目標だし、「難易度に応じて勉強量を増やす」も因果関係が理解しやすい。

しかし「他人に嫌われない」だとどうか?

「他人に『嫌い』と言われない」なら明確な目標だが、「口にしなくても嫌いと思われる事態は避ける」だと、目標自体が不明瞭になってしまう。(なぜなら他人の心を読むことはできないので)