要素への分割や細かい判断基準の設定がストレスになる理由

基本的に合理的な判断は細かい要素に還元して初めて実現されると思うのだが、とかくそういった思考は疎まれる。

これは何故か?


前回のエントリで「完全な排除は好ましい刺激を得る機会を減らす」と述べたが、それでも少しでも不快な要素があると「完全な排除」をしてしまいがちである。

この例について上記の観点から掘り下げてみる。


他者の行為を「不快」に感じるということは、その行為が執着している何らかの好ましい要素を侵すものだからであろう。