本当にそれは「必須」なのか?
何かに強い拘りが生じて、妥協できないと思うことは誰しもあるはずだ。
合理性に基づいて妥協すべきでないと判断する場合もあるかもしれないが、合理性とは別の要因による場合が多い。
「執着」や「固執」と言い換えてもいい。
こういった心理を理解するためには、「自分の中に拘りがある」という静的な見方よりも、「ある概念が提示されるとそこから離れられなくなる」という動的な捉え方の方がいい。
前者のような見方をすると、そこで妥協することは将来の自分に不利益が生じるかのような印象を持つが、実際はその後同じような状況が与えられなければ、何事もなかったかのように過ごせるものだ。
では同じような状況が与えられたら、過去にそれを失った(妥協した)ことに対して自責の念が生じるのか?
可能性が無くはないが、すでに取り戻すことが不可能なのであれば、そこまで執着することはなかろう。