満足感を得るのに「必然性」が必要な理由

例えば同じ難易度の目標を達成したとしても、それが「他の方法では不可能」だった場合と、「別の方法なら達成自体は容易」だった場合で、満足感は異なるはず。

何故だろうね?他者から評価を得るためにそれが必要、という面もあるんだろうが、それだけでもなさそうだし。


以前にも述べたように、満足感は「集中→刺激」のサイクルで生じると思うのだが、任意の対象に「集中」させられるかというと微妙な感じ。

目的(意義が自明なもの)の必要条件として浮かび上がると、「集中」させやすいという利点があるのではないか?


もちろん最初から恣意的に「集中」させるのなら「必然性」は問題にならないわけだが、目的を材料にして「集中」させる場合、目的との関係性が薄れると、集中の持続が困難になると。