課題を設定するコスト、世界を限定するコスト

「課題の設定」は合理的な意味以外に、「課題による意識の集中→課題達成による報酬刺激の受容」を行うことで満足感を得る、という機能があるし、「世界の限定」には世界を恣意的に狭めることで、部分的な世界の中で有利な立場を占めるという意義がある。

両者を何のコストもなしに行えるのであれば、満足感は現実の立場・状況とほぼ無縁に行える気がするが、実際はそこにコストが生じるため、「満足感を得やすい状況」というものが存在する。


…コストについて論じる前に、「世界の限定」についてもう少し掘り下げるべきかも?

直感的に「狭い世界で優位に立つ」仕組みと効用は理解しやすいとは思うんだが。

典型的な例としては、複数の科目で評価される世界(大学受験、体操競技等)なのに、総合成績で勝負しようとせず、得意科目のみに注力しそこで面目を保つ、とか。

もうちん合理的な場合もある。例えば、コンサルタント会社が得意分野を持ち、一部の顧客に強くアピールすることで契約数全体が伸びるとか。


ここで論じたいのはそういう合理的な側面よりも心理的な効果で、しかも「得意分野での勝負」などに限らず、「虚構の世界での満足」なども含めることにする。

「世界の維持」に外部環境が必要な場合は、その外部環境を維持するコストが世界を維持するコストになる。

問題なのは「空想上の世界」や「個人的な尺度での評価」の場合で、これらの尺度を現実に適用するためには、(他者との軋轢はとりあえず置いといて)自分の頭の中に一定の文脈を維持する必要がある。


「課題の設定」に関しても似たような側面がある。

「解決すべき課題」を恣意的に設定するのは難しく、何らかの「意義」の認識できる目的達成に必要なものだと望ましい。

以前にも述べたように、目的達成の一手法であっても、他に容易な解決手法がある場合にはその手法を用いる意義は小さくなる。

その際に、「あえてこの手法での解決を試みたのだ」と開き直ることで、意義の喪失を多少なりとも抑えることができる。

これは「世界の限定」に近い。


やや話は飛ぶが、「ウェブサイトでの世界の限定」は非常に巧妙だ。

バーチャルな世界なので限定の仕方に自由度が大きいし、どこからでもアクセスできる。

あと視覚刺激の形で世界を定義できるのも強みか。

「自己暗示」だとかなりコスト高なので、具体的な刺激を与えることで「限定された世界」を認識させることが肝要なのだろう。


そういう意味では、やはり「世界の限定」は外部環境に依存する面が大きいのではないか。

外部の実体を伴わなくとも、他者とルールを共有するだけでかなり世界の限定が有利に行える。


ちと話は変わるんだが、「世界の限定」に関して、恣意的にではなく知見の欠如からそれを行ってしまう場合もある。

例えば、大学受験に全精力を傾ける人は、「名門校に入ればその後の人生が保証される」と思っている場合がある。

少なくとも現時点でその判断は誤りである確率が高いわけだが。

そういった判断を下した場合、注力している「大学受験」は限定された世界ではあるんだけど、実生活全てに影響するだけの一般性を持つものと認識しているわけだ。

ゆえにこの時点では(主観的には)世界は狭めていないのだが、大学受験の結果がそこまで後の人生を保証しないと分かった時点で、自らの意思とは無関係に狭まることになる。


あるいは少し構造は違うのだが、ゲームに没頭した結果、その世界でしか意味を持たない行為(レベル上げとか)に全精力を注いでしまうとか。


まぁ普遍性がないと分かった時点で(その世界での努力を)止めるしかないし、サンクコストバイアスでその世界に閉じこもろうとするのは筋悪。

ただ限られた世界の中ででも役に立つものなら、それに費やした労力は無駄ではないだろうし、外の世界でも役に立つかもしれないし、モチベーションの向上に寄与したのなら、情報の不足によって世界を狭めたことは幸運かもしれない。