鬱の構造

もちろん器質的な要因があるので、心理だけで説明はできないが。

基本的に意識の切り替えが困難な場合に生じるのかなという気はする。


例えば対人関係に関して。

他者と接触できる環境において、「特定の刺激を期待→刺激を受容」することは容易だろう。

その基本的なサイクルが回っていればそれほど陰に籠ることはない。

しかし人はしばしばそれを拒もうとする。

例えば「自分は職を失ったので友人と会いたくない」など。


しかしそれは「仕事について友人と話す」や「友人から自分の能力について称えられる」という特定の刺激パターン固執している状態ではないか?

もちろん、期待している刺激が得られる(例えば復職する)のであればいいが、それが困難な場合に期待する刺激のパターンを固持すると、何ら望ましい刺激が得られなくなる。

柔軟に期待する刺激を切り換え(例えば趣味に関する雑談)、それを得ようとすれば再び「刺激を期待→刺激を受容」が回るにも拘わらず、だ。


まぁ「仕事について友人と話す」に固執したとしても、期待する刺激のキャパは一つでは埋まらないだろうし、他の刺激の期待と相反しないのでそこまで害はないのだが。

問題は「友人から自分の能力について称えられる」のようなもので、それに固執し、かつ「失職した状態で友人に会うと、能力の高さを称えられる機会を永遠に失うかもしれない」などと考えると、友人に会うこと自体を避けようとし、友人からの一切の刺激の受容を拒否してしまうことになる。