嘲笑の扱い方

若い時分は他人の嘲笑が気になるものだが、それにどう対応すべきか。

嘲笑する理由はおおよそこんな(嘲笑とか嫉妬とか - jotunの頭の中)感じだろう。

そこには「目的の達成に向けて不合理なことをやっている」という批判的な要素がある。(場合によっては単に「相手の欲しがっているものを自分はすでに持っている」)

それは過大評価すべきでないし、過小評価してもいいが適切に評価できれば多少は役に立つ。


判断する際のポイントは以下の通り。

まず相手の「目的達成のために不合理なことをやっている」という信念は正しいのか?

特定の方法を「不合理」と断じるからには他の選択肢が頭にあるはずだが、その選択肢が妥当かどうかは分からない。特に小中学校の場合、自分の行動が不合理なことも多いが、相手の想定している選択肢が見当はずれである可能性も高い。

さらに言えば、仮に自分の行動が不合理で相手がより優れた選択肢を知っていたとしても、早くその情報にたどり着けたのはむしろ幸運と言うべきだろう。

相手はそこで彼我の力量の差を強調したいのかもしれないが、ある固有の問題に対する解決策の妥当性にさほど力量は反映されないし、仮に力量の差があったとしてもそれを認めて生きていけばよい。

まぁ若いうちはそこまで合理的に割り切ることは難しいだろうけど。


次に、「自分の行動は相手に害を与えたのか?

嘲笑する理由は必ずしも害を受けたからではない。むしろ有害であれば怒りに変わるだろう。

一般に嘲笑のようなある意味穏やかな感情の表出は、相手の行動に対し変化を要求するものではない。

そんなわけで相手に害を与えた可能性は低いだろうが、ネガティブな感情の表出ではあるので、少し自分の行動を省みてもいいかもしれない。


最後のポイントは「結果的に相手が自分を排除する可能性があるのか?」。

嘲笑を恐れる一番の理由はそこにあると思う。

一つの出来事で集団から排除されることなどまずない、ということは誰しも分かってはいるのだが、潜在的なリスクを過大評価して恐れてしまいがち。

「行動→ネガティブな評価→排除」という流れの中にも、行動自体に対してネガティブな評価を下す場合と、行動から能力・性格全般に敷衍してネガティブな評価を下す場合があると思う。

しかしいずれにせよ、「不合理な行動をする」とか「能力が低い」はかならずしも排除する動機にならないのではないか。

嘲笑する理由は直感的なおかしさや他者の欠点(or不合理な行動)に着目した自分の地位(優位性)の確認に過ぎないだろうし、その後さらに攻撃的な言動を続ける場合でも、排除しようと思って攻撃するわけではなく、相手の戸惑う反応が見たいだけだろう。