模倣できない成功例は挫折をもたらしやすい?
例えば、国民的人気女優になりたい女性がいたとする。
同時代に、容姿・演技力・機転・歌唱力など、すべてに優れた女優がいたとすると、「その人と同じ能力を身につければ、国民的人気女優になれる」という推論が働く。
しかし、その「容姿・演技力・機転・歌唱力」を身につけることが不可能だと感じたら、希望は絶望へと変わる。
「国民的人気女優になりたい」という漠然とした希望だけがあり、具体的な目標がなければどうか?
この場合は深く絶望することはないが、目標への前進も考えづらい。
「国民的人気女優になりたい」という最終的な目標に向かって、ボトムアップで少しずつ前進していく場合はどうか?
例えば、容姿には元々恵まれているとして、演技力と歌唱力を専門学校で身につけ、深夜番組への出演などで少しずつ機転も身につける、といった戦略。
具体的な成功例なしに地道な下積みを行うのは困難ではあるが、自分の判断への自信と根気があれば不可能ではないかも。
こういった戦略をとった場合は、当初考えていた「満たすべき条件」が満たせないとしても、柔軟に転換できるケースが多いように思う。
例えば「歌唱力が十分でなくても、演技力が非常に高ければ人気が取れる」といった発想が可能になる。
ここで述べたいのは、安易に「具体的目標」が与えられることは、必ずしも幸運ではないということ。
具体的な成功例が、成功に至る一つのパターンであることは間違いないだろうが、同じパターンでそこに至るのは困難だし、別のパターンで成功に至るためには、ある面では「具体的成功例」よりも高い能力を身につけなければならない。
つまり下手に「成功例」を提示することは、本来は実現が困難な「比較的楽な方法」を示すことになるので、目標の実現に必要な努力を妨げる虞がある。
まぁ先述のように、具体的目標なしにモチベーションを維持するのも容易ではないのだが。