気付きとか洗練とか独創性とか

「独創的」と言っても無から有を生み出せるわけではなく、何らかのソースに基づいてその本質を高度に抽象化し、自分なりにアレンジした場合に「独創的」と言われるのかと。


「独創性」を生み出すためには、「(本質に)気付く」過程と「洗練させる」過程が必要だと思う。

んで、しばしば両者には相反する能力が必要とされる。

前者(気付く)は「共通する要素の認知」で後者(洗練)は「異なる要素の認知」に近い?


例えば、優れた作品がいくつかあったとして、まずその作品群の評価される要素に気付くことが必要だ。

その要素を取りこんで、自分なりにアレンジし、全体のバランスを整えることで自分なりの作品が…

いや、少し違うか。


「本質の抽出」の部分でも、「共通する要素の認知」と「異なる要素の認知」の両方が必要になる気がする。

もちろん、「共通する要素の認知」だけでも「模倣」はできるが、「本質の抽出」にはならない。


評価される作品群と評価されない作品群があり、そこで評価される作品群のみに共通する要素を抽出する、という場合だとどうだろう?


うーむ、少し見方を変えるか。