前進するために必要なこと2

以前論じたのは、目的達成の条件が欠けている場合の対処の仕方だったわけだが。


今度は、目的に向かってある行動を起こすことで、別の何かが失われるケースについて考えてみる。

例えば、好きな子に告白したいが、どうも自分の親友もその子が好きらしいので、告白すると友情にひびが入るかもしれない、とか。


まぁ基本的に得るもの(×得られる確率)と失うもの(×失う確率)を天秤に掛けるしかないけどね。

ただなんつーか、「本当にそれを失うのか?」って問いを突き詰めていくことが重要のような。


例えば上記の例で、「親友の存在はかけがえのないものだ。それを失うことはできない」という判断だったとしても、「親友は本当にその子が好きなのか?」という問いと「自分がその子に告白したら親友は本当に自分を嫌いになるのか?」という問いの答えはまだ出ておらず、答え次第では親友を失わずに告白することができる。




ちなみに、あらゆる行動の必要条件を「他人と同じであること」に設定している人間ってのは、常に他人の様子を伺う必要があるよね。

ある行動を起こした結果「他人と違う」状態になってしまう(可能性がある)というだけで、もうその人は行動が起こせなくなってしまう。

でも、思考が弛緩してくると、多くの人間がそれに近い状態に陥ってしまう。


まぁそこまで極端でなくても、「友人を失う」「友人(上司)からの評価が下がる」ことを恐れて行動を起こせなくなる場合はままある。

この場合、「友人」が代替可能であれば、それほど恐れずに済む。

「友人が代替可能」とは、自分から積極的に新しい友人を作れることだ。

まぁ驚異的な「人当たりの良さ」で受け身だが多くの友人がいる、という場合には、そこそこ代替が利くかもしれんが、結局受け身の人間は頭のどこかで友人を失う危険に脅かされることになる。

あとまぁ「自分から積極的に作る」ことが苦手でも、自分が何かマズイことをした場合に上手く友人にフォローして関係を修復できる人はそれほど失敗を恐れずに済むかも。


他にも「職を失う」とか「金がなくなる」可能性は行動の抑止力になる場合が多いですね。

「自分で事業を起こして稼ぐ」のは誰にでもできることではないですが、「いざとなったらコンビニのバイトから出直す」覚悟があれば、それほど恐れずに済むのかと。

ただ「コンビニのバイトから出直す」ためには、「それによって自分の価値が友人から否定されるんじゃないか」なんて意識を断ち切っている必要がある。

そういう意味では、この問題も上記の「友人作り」の問題と関係がある。


結局「何でも自分でできる」「(何かを失っても)自分で手に入れられる」人間は、リスクを恐れず積極的に行動を起こせるし、それができない人間は、常に状況の変化に怯えることになる。