蓄積するということ
「所有」という概念に近い部分も。
まぁ「蓄積」する対象は有形物でなくてもいいのか。
知識然り、経験然り。
まぁ物にしろ知識にしろ経験にしろ、多寡を見積もることは可能なので、それを「蓄積」していくことはイメージしやすいが。
しかし人間がとかく「蓄積」を好むのはなぜだろう?
食品の場合だったら、多くの量を蓄積することで多くの欲求を満たせる?
あるいは多くの種類を蓄えることで多様な欲求を満たせるとか。
しかし「蓄積」自体が自己目的化することはしばしばある。
「蓄積」は概念的なものだが(「増えていく」ことが物理的に実感できる場合はあるが)、一時強化子(食物とか嗜好品とか)の到来を予期させるものなので、それ自体も強化子として働くのだろう。
まぁ「自己目的化」をよしとするなら話は簡単なのだけど、そこに「合理性」を見出したい場合は何に気をつけるべきか?
(つか「自己目的化」した「蓄積」が、ずっと目的として機能し続けるならいいのだが、状況が変化してそれが報酬につながらないことが明確になると、しばしば負の感情を引き起こすので)
例えば、何か達成すべき目的があって、そこに到達するために必要なものを「蓄積」していくとする。
目的とそこに到達する方法が明確である場合には、「蓄積」することの合理性も担保しやすいが、到達する方法を模索している場合や、そもそも目的自体が揺らいでいる場合には注意が必要になる。
人生において適切なものを蓄積すれば、幸福になれる?
例えば金?あるいはキャリア?
まぁ食ってくのには困らないし、他のもの(物とか)と交換することも可能なので、そこそこ幸福?
相応の経験さえ蓄積できれば、何とかなるという考え方もあるか。
つか、「蓄積」ってのはいわゆる「キャッシュ」であって、「フローが重要」という意見とは相容れないわけだが。
まぁ「蓄積」というとやや意味に幅があるが、「価値あるものの獲得」と言えば「フロー」とみなせないこともないか。
「蓄積」に価値を置く人間は、先のことまで考えている(先見性がある、あるいは時間割引率が低い)場合もあるし、単に関心の対象が一点に集中しがちな場合もある。
合理性を考えて「蓄積」するのであれば、「目的」と「方法」が妥当であるか、たまに確認するべきでしょうな…
このテーマに関してまだ書き足りないこと(「蓄積」が生む充足感の正体など)もあるけど、とりあえず今回はこの辺で。
〈学生→研究者の場合〉
学生時代(〜高校or大学):知識を蓄積(テストで評価)→それ自体役に立つか不明だが、受験などで有利になるので、その後の人生に有用?
院生時代:知識・技術を蓄積(論文を読む、技術を習う)→短期的な目的(研究)に役立つ。しかし研究自体が済んだら無用になるものも。
研究者時代:論文などの業績→職を確保し、昇進する際に役立つ。ここでの「目的」は研究そのものというより、収入を得ること?もちろん研究の内容に拘って、院生時代同様知識・技術の取得に重点を置いてもいいが。
まぁ他にも人脈とか副収入とか預金残高とか、そういうのもありうるけど。
いずれにせよ、フェイズによって「蓄積すべきもの」も異なるので、柔軟に対応すべき。
あるいは、後のフェイズで蓄積が求められるものを、早い段階から蓄積するのもよい。