因果関係の理解
「因果関係の理解」が人間の思考に欠かせないものだということは異論がないと思います。
ただ正確に定義するのは難しい。心理学の領域では明確な定義があるのかもしれませんが。
まぁそんなに真面目な話ではないので、テキトーな定義で話を展開してみます。
すぐに思い浮かぶのは、
特定の結果(事象)からその原因を想起する。
特定の目的からその手段を想起する。(手段から結果を予測する場合もあるけど)
まぁ上記二つは時間軸が違うだけで、本質的には同じものですが…ちなみにどちらも結果&目的が好ましいものか避けるべきものかで、心理的な影響は異なりますよね。
想起したものが自分に関わりの深いものである場合は特に。
「避けるべきもの」は明らかに害を与えるものの場合もありますが、むしろ多くは特定のものを失う事態なんじゃないかな…?
そういう視点で、自分に関係のある事象が想起された場合の状況を大雑把に分類してみると、
1.現在の結果(何かの獲得)が自分の行動に起因
2.現在の結果(何かの喪失)が自分の行動に起因
3.未来の事象(何かの獲得)が特定の行動(実行可能)によって起こると予測
4.未来の事象(何かの喪失)が特定の行動(実行可能)によって起こると予測
んでまぁ1と3の場合は、原因と考えられる行動が強化される(頻繁に起こるようになる)だろうし、2と4の場合は原因と考えられる行動が抑制されるのでしょう。
そこまでは話が単純なんですが、実際は原因を特定することが困難な場合もある。
あるいは複数の可能性が浮かんで、絞れきれないとか。
さらに、予測される結果(何かの喪失)が許容できないものである場合、かなり思考にゆがみが生じます。
例えば無理やりにでも自分以外の要因によるものだと解釈したり。
そういう場合の心理状態について考えてみるのは面白そうだなと。
まぁ実際は人間が因果関係を完全に理解することは不可能なので、常に確率的な理解に留まるんでしょうが。
あと獲得または喪失するものにそこまで思い入れがない場合は、割と客観的に評価できそう。
問題は対象に固執する場合ですね。
ただ1と2の状況では、すでに結果が得られているので、2の場合はその現実を受け入れるしかないわけですが。
失ったものが共同体の利益で、それが自分の行為に起因する場合はダメージが大きくなりそう。
4のケースで対象に固執すると、その結果をもたらす自分の行動を徹底的に抑制する戦略に出るのだと思いますが。
ただそこでいくつも「候補」が挙がると、やってはいけないことだらけでノイローゼになりそう。
「固執」しやすい上に「多くの原因(となりうるもの)を想起」してしまう人は精神的にキツそう。
まぁそういうタイプの人は、後天的にどうにか「固執しない術」を身に付けるしかないんでしょうね。
後者はどうにもならんでしょうから…
そういう意味で、「多くの原因を想起する」タイプは精神を病みやすいのかもしれない。
ただ3のケースだと、「好ましいものを手に入れられる手段が多く思い浮かぶ」わけなんで、希望も持ちやすいのか。
それ自体は悪くないんでしょうけど、何かに固執→関係ないことまで心配→非現実的な解決策を夢想→…みたいな連鎖が続くと、精神病になりかねませんね。
やはり「多くの原因を想起する」は危険な素因か。頭の良さに繋がる場合もありそうですけども。
まぁ程度の問題ですかね?
ちなみに、頭の中だけでなく、実際に行動して原因を絞って行けば、余計な心配は減らすことができそう。
あとそもそも行動を伴わないとほとんど「原因」が想起できないタイプは、精神を病むリスクは低そうですね。
まぁそれはそれで苦労がありそうだけどもw