ミスと動揺

ミスによって失われたものが、自分の時間や労力だけなら、その多寡にもよるが、それほど気にすることはないはずである。

しかし、「自分は最小の労力で作業をこなしている」という自負があったりすると、上記のような小さいミスでも大きな痛手になる場合がある。

これはなぜか?


「最小の労力で作業をこなしている」ことに、本来さしたる価値はないはずである。

しかし日々の作業において、「少しでも小さな労力で片付けよう」と考える場面は多い。

そうした状況で、「工夫しなかった時の労力」と「工夫した時の労力」が強く印象に刻まれ、それらからの乖離が大きな予測誤差として顕現するのではないか?