適正な希望の量
希望が大きすぎればしばしば安易な解決を期待して失敗するし、希望が少なすぎれば絶望して動けなくなる。
ゆえに適正な量の希望を持つことが肝要だが、それはどのようにして実現されるのか?
ある特定の事柄に限れば、試行錯誤を繰り返すことで、ほどほどの量の期待に調整することができるように思う。
しかし、新規な問題に着手する時や、物事全般へのスタンスなどは、個人の性質によってほぼ決まってしまうように思う。
ではそういったスタンスを規定する個人の性質とは何か?
先天的なものもあるかもしれない。
ドーパミン受容体の多型などは関与していてもおかしくない。
それ以外に、育ちの問題もあろう。
親から受けた教育というよりも、全般的な生活の豊かさが、希望の量を大きくする傾向はあるように感じる。
では育ちのよさによって大きくなった希望を修正することは可能か?
不可能ではないだろう。
実際に失敗し、経済的にも困窮すれば、むしろ悲観主義者になるかもしれない。
ただ、失敗しても親などが手厚くフォローしている限りは、いつまで経ってもいきすぎた楽観主義を修正することはできない。