salienceに基づく行動と合理性に基づく行動
例えば、「電気(照明)の点けっぱなしが許せない人間」というのがいる。
その多くは女性だろう。
もちろん、電気を点けっぱなしにすると電気代が余計にかかるのは事実だ。
しかしせいぜい月に数百円の違いにしかならないので、年収1000万の家庭なら無意味といってもいいだろう。
まぁ「地球環境のため」という考え方もあるだろうが、一人の人間の地球環境への影響を考えると合理的とは言い難い。
つまり、そこそこ収入のある家庭の場合、「電気をまめに消す」のは合理的とは言い難い行動である。(まめに消す労力と、払うべき注意力を考慮した場合)
それでも「消さないと気が済まない」のはなぜだろうか?
「電気が点いている」ことに気づくのは容易である。
視覚刺激をもたらすので、容易に認知できる。
おそらくそれは「気付きやすさ」だけでなく、相応のsalienceとなるのだろう。
それは何らかの行動を起こし、何らかの価値に結び付けることで「処理されなければならない」。
この場合のsalienceは学習によるものではなく先天的なものだ。
ゆえに何らかの報酬を伴わなくても生起するし、(一定の感受性を持った人間の場合)消滅することはない。