真理の探究とか生きる目的とか

人間の生きる目的は何であるべきか?

生命の維持が問題なくできるなら、別に何でもいいだろう。

関心のある分野で真理を探究することに全精力を傾ける人間もいるし、刹那的に快楽を求める人間もいる。


「真理の探究」は単位時間当たりの満足度としては必ずしも大きくないのではないか?

その目的が強力な理由は何なのだろう。


一つ考えられるのは、長時間持続することである。