親しさと礼法について

「親しき仲にも礼儀あり」とは言うけれど、親しくなればそこまで礼法に拘らなくても円滑なコミュニケーションが取れるのは事実だ。

まともな教育を受けていれば、普通は初対面の相手の前では礼儀正しく振舞うが、親しくなると次第に堅苦しい礼法を省くようになる。

これはどのような思考の産物だろうか。

(まぁ単純に礼儀正しく振舞うのは面倒なので、関係が緊張を強いるものでなくなれば余計な手間をかけなくなる、という原理かも知れんが)


「ある程度親しくなったらくだけたコミュニケーションの方がよい」という理屈に基づく場合もあるだろうが、普通はもっと直感的に判断していると思う。

人間は他者に働きかける場合、何らかの好ましい反応を相手に期待する。

親しくない人間に好ましい反応を期待するためには、自分が社会の規範に従うものであることなどをアピールする必要があるが、親しくなればそういった礼儀を省いても、好ましい反応は得られるものと期待する。

ゆえに少ない労力でも好ましい反応が得られている限り、礼儀は省略されることが多い。


中には比較的長い期間一緒に過ごしていても、何となく敬語を使ってしまう相手というのがいる。

「威厳があるから」とか「優秀そうだから」などといった解釈をされることが多いが、本質は「作法に則らないと好ましい反応を返してくれなさそう」だからではないか。

「好ましい反応を返してくれなさそう」な相手は、単に性格が悪い場合もあるし、全般的に他者への関心が薄い場合もあるし、年長であるとか同年代なのに老成しているなどの理由でこちらにさほど関心がない場合もある。