誤解に基づく行動に対する不快感
情報の欠落によって積極的な行動を起こせる人間に対して、不快感を抱くことがある。
それは嫉妬に近い面もあるのだろう。
すでにその行動に効果がないという情報を得てしまった人間は、そのための動機を維持することができないので。
人間がもし「目的を達成する」ことでしか満足感が得られないとしたら、達成できない目標を追う人間は憐憫の対象でこそあれ、嫉妬の対象にはならないだろうけど。
ただ実際は目的を達成できなくても満足感を得られることはある。
ゆえに情報の欠落によって無謀な行動を起こせる人間がうらやましく感じることもある。
しかし「目的の達成」が必要でないなら、都合の悪い情報は切り捨てて「盲信」してしまえばいいような気もするけどね。
情報を「知って」しまったことが致命的というのは違和感がある。
元来の性質による違いもあるかもしれない。
すぐにフィードバックが得られないとモチベーションが維持できない人間はいるし、そういう人間が効果のない行動を持続することは難しいだろう。
そう考えると、情報の有無はさしたる問題ではないことになる。