有意義な時間の使い方とは

一つの解釈は「実益に寄与するかどうか」で、これは「金になるかどうか」と考えてもいい。

もちろん直接金を生むものでなくても、確実に仕事に生かせる資格の取得とか、人脈を広げるための飲み会への参加とか、そういうものは「実益」にカウントしていいと思う。

そのスタンスに立つのであれば、「合理的な時間の使い方」を決めるのはそこまで難しくない。


もう一つの解釈は「発展性があるかどうか」で、「発展性」という言葉自体が抽象的なんだけども、大雑把には「一つの課題をクリアするとさらに別の課題が出てくる」という解釈でいいのではないか。



ただ「別の課題が出てくる」かどうかは、その人間のセンスにもよるし、感受性にもよる。

「発展性のある行動」を一般的な感性に基づいて列挙できないこともないだろうが、ある程度の個人差は存在するし、同一人物であっても年齢によってそれが異なる場合がある。

前回のエントリで述べた「他者のコンテンツの消費」は発展性に乏しい気はするが、例えば小説の場合「同じ作者の別の作品を読む」といった形で「別の課題」が出てくる場合もある。

もちろん、死んだ作家であれば作品は有限だし、生きてる作家でも新作が無尽蔵に出てくるわけではないのだが。

ただ、絶対的な経験が乏しく感受性の豊かな子供であれば、そこに「発展性」を見出したとしてもおかしくない。



自分で「有意義な行動」というか「発展性のある行動」を見極めるのは難しい。

経験が乏しく感受性が豊かな時期には、多くの行動に「発展性」が感じられるが、その多くは年を取ると発展性が感じられなくなってしまう。

また「年を取ると発展性が感じられない行動」は比較的楽にできるものが多い(買って読むだけ、とか)ので、敢えてそちらを選択してしまうことが多い。