希少性による価値について

希少なものには価値があるのは当然と言えば当然だが。

ただ本来それは「欲求自体は存在するが、それを充足する手段が少ない」からこそ価値があるのであって、希少性そのものに価値があるわけではない。

希少性ではなく、「希少ゆえに強く欲求を充足できる」から価値があるのだ。


しかし、必ずしも欲求の充足によらず、希少性そのものが価値を持つ場合もある。



おそらくそれは他者の評価を介することで、希少性自体が話題に変換でき、報酬価値をもたらすからだろう。



他者の存在を前提にせずに価値を持つ場合もあるだろうか?

「希少なもの」はとりあえず入手のコストが大きいのは事実である。

事物の価値が(根源的な)欲求の充足によらず、単純にコストを埋め合わせる形で決まることもあるだろうか?


ないとは言い切れない。

少なくとも子供の場合には、ある程度コストに応じて報酬価値を「調整」することができるだろう。