差異と発見と披歴

何か発見をした場合は、それを人に披歴したくなるが、それはなぜか?

発見自体に報酬価値があるから、とも考えたが、むしろsalienceはあるが報酬には繋がらないので、帳尻を合わせるために他人に自慢して報酬を得ようとするのではないか?


しかし報酬に繋がるわけでもないのに、「発見」にsalienceがあるのはなぜか?

「発見」というと曖昧だが、何かしら予測と大きくことなる現象を観測すれば、salienceというか予測誤差は生じるだろう。

しかしその「予測誤差」は必ずしも報酬の予測に関わるものではない。

なぜ報酬に関係しない「予測誤差」にsalienceがあるのか?


報酬獲得のcriticalな要素でなくても、部分的に報酬の獲得に関与する要素というのはありうる。

例えば物理現象の理解は、直接それによって食物などを得られるわけではないが、動物を狩るのに(投げる槍の角度を定めるなど)間接的に役立つ可能性はある。

そういう経験が蓄積して、次第に直接報酬をもたらさない刺激にもsalienceが付加されるようになり、それを操作することで「発見(予測誤差)」が生じるのではないか?

ただ、必ずしも報酬獲得に結び付かないので、他人に自慢するなどして帳尻を合わせる必要がある。