満足の閾値と判断の合理性

人間の判断は、選択肢の価値を吟味して価値の高いものを高確率で選択しているというよりも、価値が一定の閾値を越えたらそれを実行するというアルゴリズムに近いだろう。

この場合、合理的に行動決定をするためには、満足の閾値が適切な水準である必要がある。

閾値が低ければ「下らない」選択肢も閾値を越えてしまうので、ランダムに行動してしまう。


閾値を越えれば実行する」として「閾値以下なら実行しない」のか?

そうかもしれないし、閾値以下であれば価値の大小によって判断するのかもしれない。

後者だとしたら、満足の閾値が高いほど、合理的な行動が可能になる。


まぁ「満足できるのなら合理的である必要はないのでは?」という見方もあるかもしれない。

ある意味、それは正しい。

ただ「行動が価値」が即時の報酬ではなく、「先見性」に基づく場合、その場で満足できるかどうかよりも判断の合理性が重要になるので、満足の閾値は高い方がいいだろう。



P.S.ちなみに「閾値以下なら実行しない」場合であれば、閾値が高いと無気力な人間になってしまうので、「適度な高さ」が好ましいということになる。

閾値以下なら実行しない」のか「閾値以下であれば価値の大小によって判断する」のか、どちらもありえそうなので、結論は出しかねる。


あと厳密にいえば「閾値を越えるかどうか」だけではなく、閾値の上、あるいは下でも、多少なりとも価値の上下に伴って満足度は変化するだろう。

価値と満足度の関数が線形に近ければ、常に合理的な行動選択ができるかもしれない。

逆に傾きの急なロジスティック関数(極端に言えば不連続な二値関数)だと、合理的な判断は困難なように思える。