希望について

日常に満足していれば幸福に生きられるだろう。

しかしそれに満足できずに、非日常的な「希望」を追う人間もいる。

「希望」とは具体的にどのようなものか?


現在の日常に満足できないが、「満足できる日常」のイメージが頭にあり、そこに到達するために努力するという生き方もあるだろう。

それはある意味堅実といえる。

もちろん、思い描いた「満足できる日常」に本当に満足できるか分からないし、そこに到達できない可能性もある。

しかし予測の精度が上がれば「幸福」を手に入れられるだろう。


しかし「到達すべき日常」がなく、ひたすら非日常を追い求める場合はどうか?



そもそも「希望」とは何か?

「到達すべき点」があって、そこへ到達できる「可能性」の場合は理解しやすい。

しかし到達点が明確でない希望もある。

そういった「希望」はどのようなものか?


関心を持てるものがそれまで何ひとつなく、ある非日常的な出来事にのみ関心を抱き、その出来事やそれに類似する出来事をひたすら待つのも一種の「希望」だろう。