動因とか誘因とか自由意志とか虚しさとか

例えば性衝動は動因の代表的なものだが、充足する手段はいろいろある。

もちろん魅力的な異性を目にするなど、性衝動を引き起こす誘因もいろいろあるわけだが、性衝動に関しては動因によって制御されている面が強いだろう。

充足する手段はまぁパートナーの確保が必要なものもあるし、そうでないものもある。

パートナーなしで充足するのは容易だが、「虚しさ」を感じる場合もある。

この「虚しさ」はなぜ生じるのか?

また同じ動因に基づくのに、充足の手段によって満足感に違いがあるのは何故か?


一つの解釈は、「性欲」の充足だけでは満足できず、同時にコミュニケーション等も行う必要があるというもの。

そういう要素もあるかもしれないが、「虚しさ」まで生じることを上手く説明できない気がする。

(コミュニケーションが取れない状況は他にもあるのに、なぜその時だけ虚しさが生じるのかという)


動因に基づくものであれ、誘因に基づくものであれ、欲求を充足すると充足の対象への注意が高まる。

欲求(例えば性欲)自体は充足されればしばらくなりをひそめるので、欲求の充足のみに特化した手段を用いると、「対象への注意は高まるが、関心はない」という状態に陥るのではないか。


例えばパートナーがいる場合には、性欲自体は解消されても、パートナーへの関心(例えば同じ趣味の話ができるとか、仕事の話ができるとか、一緒に食事に行けるとか)は持続するので、欲求の充足によって高まった「注意」を関心につなげることができるという。