主観的な成功確率の認識と、そこに影響を及ぼす要因
(一部は前回のエントリから)
ある目的が達成できるかどうか、微妙だと感じたとする。
「微妙」なのはあくまで主観であって、実際は余裕かもしれないし、到底無理かもしれない。
「目的達成が微妙」という主観は、「目的達成できそう」という回路への好ましい刺激がわずかに足りないために生じるのではないか?
たぶんその場合に、目的達成と関係のない好ましい刺激(例えば「天気がよい」)があれば、「目的達成できそう」という自信が生じうるのだと思う。
ただ「目的達成が微妙」という感覚は実際の確率を忠実に反映していなくても、いくらか現象の予測に寄与するもののはずである。
経験から成功確率を見積もるということは、成功確率を規定する要素に目を向け、それらを適切に重み付けし、一定の閾値を設けて脳内に一種の「識別器」を構築することなのではないか?
それはどのような機構で行われるのか?
ちなみに恵まれた環境に置かれた人間の方が、悲観的な予測を持ちやすい場合もある。
これは一見、上記の「好ましい刺激が自信を生む」と矛盾する。