推論と思考の「信用取引」

あることが実行可能かどうかは、実際にそれをやってみることで見極めるのが一番確実である。

しかしすぐに実行できない場合もある。

例えば高校生が特定の職業につきたいと思っても、すぐになれるわけではない。

しかしその段階で「おおよそなれそうかどうか」を判断する必要に迫られる場合もある。


人間は様々な形で推論を行うが、例えば他者(自分の親)が特定の行動(ある職業に就く)を実現していたとして、自分がその他者と同等の条件を満たしていれば可能だろう、と推論することができる。

「他者と同等な条件」のうち、実際にその行動(職業)に必要なものはごく一部だろうが、必要条件が見極められない段階では、「大きめに見積もる」必要がある。

なおここでの必要性とは、不確実な状況での推論のコツというよりも、実現可能だろうという安心感を得るために不可欠な心理的過程という意味である。


冗長な「他人と同等(以上)の条件」を満たすことで、特定の行動が実現できそうだという実感が得られたとする。

この実感はまた、別の行動の実現を示唆する要素となりうるので、この認識をてこに別の認識(安心感)を得ることもできる。

しかしこれらは所詮推論であり、後で誤っていたことに気づく場合もある。

その場合には、目論んでいた行動が不可能になるだけでなく、その行動を「担保」にできると仮定していた別の行動を次々諦める必要が出てくる。