選択肢の数と不合理な信仰

基本的に選択肢が限られているほど、数少ない選択肢の一つを無批判に信じる危険性は高まるよね、という話。

当たり前っちゃ当たり前なんだけど。


ただあらゆる状況で「選択肢の少なさ」が「不合理な信仰」に繋がるかというとそうでもなくて、欲求の充足に重要な場面に限られる気がする。

例えば学問の世界で成功を収め、引く手あまたな研究者はポストの獲得の面では選択肢が多いわけだが。

一方恋愛に関しては経験が少なく、自分からアプローチしたことがないので、たまたま言い寄ってきた金目当てのタチの悪い女に引っ掛かってしまったり。

もし恋愛(性愛)という強力な欲求に根差した選択でなければ、自分の経験の乏しさを自覚し、一時的に選択を保留する判断がしやすいのだと思う。

しかし根源的な欲求に根差す場面では、認知を歪めてでも即時に欲求を満たすことのできる選択肢を肯定してしまう。