不安の実体について

「漠然と不利益を予期する」という状態が不安だと思うんだが。

将来の不利益(何かしらの喪失)が明らかになれば恐怖感なり不快感なりに変わるし、逆にそれが否定されれば、不安感は消失する。

そういう意味で「現況と負の概念との弱い結合」という解釈も可能ではあるんだが…


別の見方として、何かしら強い刺激(あるいは思考を喚起する概念)が与えられた場合に、それを合理的に処理する方法が見当たらないと、思考が「拡散」し、不安が惹起されるの、といったものも考えられる。

両者を厳密に区別することは難しいが、後者を支持する要素がいくつか考え付く。

例えば原始的な社会では、天変地異が起こった場合に、その解釈として「神の怒り」といった現実の現象とは無関係の解釈を行うことが多い。

天変地異が一度起こったら、高い確率でその再発を意識し不安になるだろうが、上記のような根拠のない解釈が存在すると、その再発の可能性を否定するわけではないが、ある程度不安は収まる。

要するに拡散した思考を「収束」させれば不安は収まるのであって、必ずしも負の概念との関連性を弱めることは必須ではないという。