状況の特殊性の評価

なんか良く分からないタイトルだけども、何が言いたいかというと、例えば「学校に行きたくない」子供がいたとして、「微熱があるから」はまぁ「学校に行かない」理由として適当(休むに足る特殊性)だと思うが、「雨が降っているから」は不適当(特殊性が不十分)だろう、というような話。

もちろん「学校に行くか行かないか」は単純に特殊性(この場合は、「状況の悪さの希少性」みたいな感じ。悪い方から何%以内に入っているか、という)ではなく、「授業を理解することが可能か」とか「体調が悪化する虞があるか」という実質的な理由で判断することができるわけだが、世の中には「した方がいいけど、別にいつやってもいい」という行為はいろいろあるので、そういう行為のタイミングをどう設定すべきかという。


どういう時にそういう問題が起こるかというと、例えば「夏休みの宿題をいつやるか」。

毎日やらなくともまぁ何とかなってしまうわけだが、最後の数日で片付けようとするとツライ。

「夏休みをいくつかの期間に分けて、ノルマを均等に割り振る」というのがクレバーなやり方だが、それができる人間は少数だろう。

では多くの人間はどういう発想をするかというと、「今日は予定があるので宿題はやらない」「今日は一日暇なので宿題をやる」というもの。

もし宿題が、夏休みのうち10日で片付くのであれば、宿題をやるのに有利な(≒暇な)10日でやればいいだろうという発想である。

この発想自体は悪くないんだが、しばしば犯すミスは「宿題をやるのに有利な10日」の選定を誤ること。

本来ならその10日に入るべき日を「今日も少し予定があるし…」などという理由で、「宿題をしないでいい日」に分類してしまう。


こういった判断ミスが起こる理由は、あえて分けるなら「全体像の欠如」と「評価基準のブレ」だと思う。

前者は「夏休みの平均的忙しさ」の見積もり自体がなく、「宿題をやるべき日」のラインがそもそも設定されていない場合。

まぁ経験の不足によってそのラインの設定に問題がある場合もあるんだが、それはある程度仕方ない。

しかし明確に設定できないとしても、早い段階で目安を設けることは不可欠だろう。


後者の「判断基準のブレ」は、一応そういった目安は存在するが、日によって都合のいい基準を用いてしまうために、最終的に辻褄が合わなくなるケース。

「宿題をやるべき日」の判定をある日は「自由時間の長さ」で行い、別の日は「気力の残量」で行うとか。


まぁ全ての要因を勘案した判断基準があればいいのだが、その設定が難しい場合には、時折負荷が不適切になる基準でも、敢えて遵守するのが賢明なのではないか。

上記の例でいえば、確かに短時間に強い負荷がかかる可能性を考えると「自由時間の長さ」が常に適切とは限らないのだが、それでもそれを愚直に遵守する戦略があるのではないかと。