一般化の機構について

「一般化」という言葉は研究者には馴染みがあるのだが、一般の方にはピンとこないかもしれない。

(「普通にする」みたいなイメージかも?)


例えば、質量3(単位は適当でw)の物体に6の力を加えたら、2の加速度が生じたとする。

これはあくまで個別の(特殊な)例に過ぎない。

また、質量2の物体に8の力を加えたら、4の加速度が生じたとする。

これも特殊な例だが、上記の例と合わせて、力と質量と加速度の間に

(力)÷(質量)=(加速度)

という関係があることに気づいたら、これはあらゆる力、質量、加速度の間に成り立つので、より一般的な捉え方と言える。

このように個別の事象から何らかの法則を見出すのが「一般化」だ。

もちろん「個別の事象→法則」だけでなく、「一部にのみ適用できる法則→より多くの範囲に適用できる法則」も一般化だが。


こういう思考の推移が心理レベルでどう行われているのかと、いうことに興味がある。



人間の欲求として、「結果を予測したい」というものがある。

上記の例のように「質量3の物体に6の力を加えたら、2の加速度が生じた」という事象を観測し、また複数回同じ観測結果が得られたら、「質量3の物体に6の力を加えた」場合に「2の加速度が生じる」ことを予測できるようになる。

しかし「質量2の物体に8の力を加えたらどうなるか?」と問われると、上記の経験だけでは予測できない。

まぁこの場合にも実験を繰り返し、「質量2の物体に8の力を加えたら、4の加速度が生じる」という予測ができれば一応解決なわけだが、さらに別の質量、力の組合せが与えられたら、その場合にも同じ作業をせねばならなくなる。これは面倒だ。

「面倒」という言葉には労力・時間を要するという意味以外に、「思考の切り替えを必要とする」という意味もある。