現実世界で上手く「蓄積」するには

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「蓄積」の本質とそれがもたらす快楽についてはすでに書いたけれども。

以前の話では、「蓄積」が快楽として機能するためには

1.蓄積した量を把握できる

2.蓄積したものが他の何かに役に立つ(用途が広いほど良い)

3.蓄積し続けることができる

4.蓄積するものは(目的達成の上で)代替不可能

の4点が重要だと述べた。

「完璧主義」の話でも書いたように、この手の欲求は仮想世界で充足するのが手ごろではあるのだけども、「蓄積」したいという欲求は「完璧主義」ほど弊害はないし、モチベーションの維持に有効なので、上手く現実世界で充足し、さらにそれを実生活に生かす方法を考える価値があるかなと。


現実で「蓄積」するものというと、真っ先に思いつくのは「金(かね)」だが。

もちろん、「金儲け」の快楽を追い求め、結果的に有意義な人生を送った人間は多いと思う。

ただ、それを消費して物を得ることが後の人生に寄与する場合もあるので、金の蓄積(貯蓄)に拘ることは多少のリスクを伴う。


私が主に論じたいのは、上記の要件に基づき、仕事などで上手く「蓄積」すべき対象(指標)を設定するにはどうしたら良いかということだ。

例えば研究を仕事にしている場合に、「蓄積」すべきものは何か?

候補としては、書いた論文数、研究費、読んだ論文数、知り合いの研究者の数、ラボの実験設備、修得した技術、などが考えられる。

「他の何かに役立つ」という意味では、就職時や昇進時に考慮される「書いた論文数」が重要だろうか。

しかし「やりたい研究ができる」という意味では、技術や設備、研究費、知り合いの数なども重要だし、「有意義な研究を思いつく」とか「間接的に論文数や技術に寄与する」という意味で「読んだ論文数」も重要だ。

まぁどれに主眼を置いてもいいとは思うけど、就職時に効いてくる「書いた論文数」を全く無視するのは問題がある。

…ふむ、やはり現実で何を蓄積すべきか、という話になると、「何の役に立つか」が一番のポイントか。


ちなみに細かいポイントだけど、「蓄積した量を把握する」ために、読んだ論文の数をカウントするとか、数が分かるように整理しておくとか、そういう工夫もモチベーションを上げると思われる。

また書いた論文数を蓄積する効果は、実際の採用面接や昇進考査で役に立つだけでなく、「ヘッドハントされやすい」「学生が集まりやすい」というものもあると思うけど、HP上などで業績(論文数)を示すことで、後者の効果を高めることもできる。

3と4に関しては、現実世界ではほぼ無条件に満たされるので、あまり問題にならないか。

まぁでも年を取ると知識や技術を忘れるし、新しいことを覚えにくいし、研究ができなくなれば蓄積した意味も失われるので、2や3が脅かされることになるか…?

現実では最終的な目標(の一部)を「社会に貢献する」とかにしておいた方が、目的の価値が崩れにくく安全かもしれない。


ちなみに研究にしろ仕事にしろ、途中で頓挫して努力が「無駄になる」ということがあるわけだが。

この場合、「蓄積するもの」を「成果物」と考えると文字通り努力は無駄だったことになり、大きく落ち込むわけだけど、「経験を蓄積する」と考えれば、努力は経験の形で加算され、無駄にはならない。

ブログにしても、「やや不満の残る記事でも後で編集できる(=記事完成後も蓄積される)」ということを理解しておくと、その時点での記事の満足度が低くても、将来的によい記事に繋がる可能性が出てくるので、「とりあえず何か記事を書こう」というモチベーションが維持しやすい。


あと「蓄積するもの」を上手く切り替えられなかったために、不利益を被る場合も多い。

例えば、大学入試までは「試験の点数(および高得点を取るための技術・知識)」がそれなりの価値を持つけど、大学に入ってからもそれに拘ると、有意義な大学生活を妨げる要因になりかねない。

常に数年先を見越して「蓄積」するがポイントかな?数年先を読むのはそう簡単なことではないけど。

しかも「切り替え」の際にはそれまで蓄積したものの価値を否定する必要があるので、すでに蓄積したものの価値を維持しようというバイアスが働き、「切り替え」が困難になるケースも多そう。


まぁそんなわけで「何を蓄積するか?」は非常に重要なことだと思うわけですよ…