完璧主義について

以前論じた「蓄積」とも関係があると思う。


「完璧」の基準はかなりあいまいなので、実体を捉えることは意外と難しい。

それが他者との比較によって決まる場合もあるので、相対的な側面もあるはず。


無難な解釈は、特定の目的(欲求)が存在し、その目的(欲求)を究極的(網羅的)な形で充足する、という感じだろうか。

ただ「完璧主義」の本質は、目的の達成(欲求の充足)の度合いが、従来の2倍になったら2倍満足するというものではなく、達成度が2倍に過ぎなくても「最大である」という認識を得ることによって、3倍、4倍の満足感を得ることだと思う。


うーん、まぁ人間「何かが欲しい」と思う時でも、欲求を完全に充足することは困難なので、無意識のうちに欲求にブレーキをかけているような。

「完璧主義」ってのは、そのブレーキを開放して、欲するものを欲求の限り追い求めることなのでは?

それはたぶん、非常に気持ちのいいことなんだろうけど。

ただブレーキなしで車の運転するようなもので、上手く障害物をよけて(獲得不可能な対象物を意識に入れずに)進める場合もあるけれど、大概は障害物に衝突してダメージを被る。


完璧主義的欲求の強さは先天的な部分もある(「マキシマイザー」などは元来強い人間だろう)と思うけど、この手の欲求はある程度抑えないと、不合理なコストがかかることになる。

まぁ現実の世界で「完璧」を求めず、虚構の世界(ゲーム等)に求めるのは賢明な方法かもしれない。

虚構の世界にそれを求める利点は、コストが小さいだけでなく、構成する要素が限られている分、「余計なものが目につく」危険も小さい。


ちなみに学問の世界では(仕事でもあるだろうけど)「網羅性」が評価される場合が多いが、これは「完璧主義」に通ずる所があり、その手の欲求が強い人間が力を発揮する分野だと思う。