撤退とか諦念とか批判とか嘲笑とか責任転嫁とか
共通する機構として、何らかの問題が発生した時に、現在関心(欲求)の中心になっているものを放棄(唾棄)し、別のものに意識を向ける、という側面があるかと。
タイトルで挙げた概念それぞれについて「関心の中心」と「新たな関心の対象」を挙げると、
撤退:現在の戦場での勝利→別の戦場での勝利or戦闘以外での問題の解決
諦念:問題の積極的解決→現状を受け入れるという対応策
批判:論じている作品等→より優れた作品等
嘲笑:目の前で起きている現象→その価値を否定する別の現象、あるいは社会通念
責任転嫁:自分が考える解決策→他人が考える解決策
人間前に進むだけが能ではないし、退くことが最適解である場合もあるので、一概にそれが悪いとも言えんのだが、いくつかの条件を付加することで「悪い撤退パターン」をあぶり出せるような。
例えば…
- 「新しい関心の対象」について詳しく知らないのに安易にそちらに移行すると、失敗することが多い。
- 満たされた状態にあるとき(あるいは精神が弛緩しているとき)は、何らかのストレスを受け入れて前に進むよりも、ストレスがないかもしれない別の対象に安易に靡きがち。(そしてしばしば失敗)
- 同じく精神的に凹んでいる時も、…
それ以外にも以下の法則・傾向がありそう
- どちらを選びやすいかは先天的な部分もある気がする。
- 成功体験が多いと前者(ストレスを受け入れて前進)を選びやすい?